るうかです。
ずっと前から思ってたんですが、やっぱり電話がめちゃめちゃ怖くて苦手なんですよ。まじPOISON。
ってツイートしたら、わかった世代の人がちゃんと反応くれてニコニコしました。
でも友達にそれを言ったら「ほんとに年齢詐称疑われるよ」って言われました。
いやそれが、普通に話してるだけでも+20くらいサバよんでるってよく言われるんだな。
今回はそんな話じゃないですよ。
まだ20代前半の私ですが、ピチピチの頃にやっておきたい夢を現在も追っております。
もちろん知ってくれている方もいると思いますが改めて。
私は声優を目指して、専門学校や養成所に通っていた人です。
今は色々あってフリーになり自分で仕事を見つけつつ、現在は表現全般が好きなこと、元々はお芝居が好きで業界に踏み入れたこともあって、声に限らず様々な表現分野で活動しております。
確かに私は小さい頃から、テレビに映る女優さんのお芝居を真似して言ってみたり、アニメの真似したり、この世界に憧れはありました。
でもそれはみんなが通るような「憧れ」にしか過ぎなかったはずなのに、なぜ表現者として活動しようと決めたかというお話をします。
そもそも何から何に変わった?
タイトルに 転身 と書いていますが、この夢を追うまではめちゃめちゃに運動少女として日々を過ごしていました。
小2からバドミントンを始め、高校は推薦で地元を出たものです。
テレビやアニメ、本は娯楽であり、あまり身近ではありませんでした。
高校になってからスマホを持ち、やっと初めて自分の気になるアニメを見たのでした。
その時私は「ノラガミ」という漫画が好きで、そのアニメを見たところ、当時テレビで何度か目にしていた「梶裕貴」さん(現在も最推し)が演じる「雪音」というキャラクターのお芝居に心を動かされ、初めて泣きました。
そこまで涙脆い方ではなかったのですが、それから私は涙腺ゆるっゆる人間に変わりました。
そしてお芝居の、特に声だけのお芝居を知り、その楽しさに気付きました。
こんなありきたりなものではない。
これがきっかけ…と思う方も多いかと思うのですが、実は違います。
結構小さな頃から現実主義だった私は、憧れは憧れのまま、お芝居を趣味にすることで憧れに募る思いを消費していたのです。
なので、この時の夢は「臨床検査技師」でした。
臨床検査技師。例えば、患者さんの細胞などを顕微鏡で見て病気が無いか調べたりする職です。
臨床検査技師とは、病気の診断や治療、健康の維持に必要な各種の検査(臨床検査)をおこない、その結果を医師に提供する医療技術職です。
【2023年最新】臨床検査技師とは? 資格や仕事内容、勤務先、給料などについて解説 | なるほど!ジョブメドレー (job-medley.com)
コロナの影響で多少知名度はあがったものの、2018年には医療系の中でもあまり知られていない職業でした。大学も少なく、当時札幌にいた私が取れる選択肢は東京や周辺の大学に行くことで、それが目標でしたが、今までの勉強量が足りませんでした。
というのも、テスト勉強は数日前か、もしくは「やってない」って言ってほんとにやってないタイプの人間で、それでも成績は普通に良い方でした。(実はスポーツ推薦でかかった声も、内申点が良すぎて勉強の方で入りました。)それにかまけて学生のほとんどの時間はバドとピアノだけに費やしていました。
結局部活を引退してから必死に勉強しようと思いつつも、今までそこまでしたことが無いし、興味がない教科に脳みそがまあ追いつかない。
特に数学が大っ嫌いで、というか小学校から無理でずっと避けていたのに、臨床検査技師はゴリゴリの理系。
しかも得意なのは生物と化学の計算以外という。
ほかの得意(=好きな)教科を合わせても文系要素が強かったのもあって、絶対間違えてるよなぁと思いながらも夢のために頑張っていました。
本当のきっかけは、
高校3年生の確か9月あたり、中間テスト前。
生物の授業は自習。私は生物の図録を開き、テスト勉強をしていました。ほぼ最初の単元から復習をしていたんです。
するとここで異変が起きました。
なぜか鳥肌が立って気持ち悪くなったのです。慌てて顔をあげると治まり、また図録を見ると寒気がしました。
さあ皆さん、これが私のきっかけです。
何が??って感じだと思うのですが、本気と書いてマジでこれです。
ヒントが欲しい?
図録のページです。そのページは、ヒトの細胞に、酢酸オルセインという赤色の液体がかけられていて、その細胞をよく見てみようというページです。
(画像見たい方は、「酢酸オルセイン 染色画像」で検索!)
もうわかった人もいるかも知れませんね。
そう。私はこの、細胞核が赤く染まった大量の細胞が拡大されている写真を見た時、初めて自分が集合体恐怖症だということを知りました。
本当に初めて。それまで全くもって大丈夫だったのです。
それを知ってしまったら最後、もう私は元に戻ることは出来ませんでした。
もしなれたとして、症状が重くはないけれど、若干の気持ち悪さを抱えながらこれから生きていくのか。そう考えた時、憧れについていた石のような足枷は消えていました。
声優になりたい。ふつふつとしていたその思いは突沸し、ビーカーから溢れ出てしまったのです。
他にも…
これが、私が表現者を目指すきっかけであり、後押ししてくれたものでした。
他にも私は恐怖症が沢山あって、、普段生活していてよく出てくるのは、高所、閉所。
あとは最初に言ってた電話も、海とかダムみたいなのも怖い。
でも、まさかそこで恐怖症が関わるんかい!!!っていう、良い思い出です。
これから将来の夢を決める皆さんも、今は何か仕事している人も、ある日突然出来なくなる日が来るかも知れません。
自分の何が得意で何が苦手なのか、よく知ってから挑戦することをおすすめします。(今更)
ですが、吹っ切れない思いがある時。私のように爆発した風に身を任せてみたら、なんだかんだ新しいところに辿りつくこともあるということを、ここに記しておきます。
色々体験出来て楽しい人生です。
今となっては集合体恐怖症ありがとう。
でも本当に電話は嫌い!!!早く電話しなくてもよくなるくらいに、科学や機能が発達してくれることを願います。
けど、もしそうなったら臨床検査の立ち位置はAIに奪われてしまうかもしれない…というところも含めて感謝かも。
まあ、それが社会になじむ頃には、私も今指摘されるような精神年齢を、肉体や年齢が追い越してると思うので、悩みは別のところになるのかもしれません。
結局、たくさんご飯食べて、元気なままおばあちゃんになるのが今の夢ということで落ち着きましょうかね。もちろん、きっかけはこのブログです。
みんなの夢のきっかけもいつか聞けたらいいな。
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